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リレーションシップバンキング

目的は地域金融の円滑化と貸し手・借り手双方の健全性確保

金融庁は、平成一四年公表の「金融再生プログラム」において、中小・地域金融機関の不良債権処理については、大手行とは異なる「リレーションシップバンキング」という特性をふまえて、その主要営業基盤である中小企業金融の再生を念頭に実施すべきであるという見解を明らかにした。以来この「リレーションシップバンキング」(リレバン)という言葉が、各所で頻繁に使用されている。

リレバンとは、「金融機関が、長期的に継続する取引関係のなかから得られる借り手企業の経営者の資質や事業の将来性についての情報をもとに、融資等を実行するビジネスモデル」と定義され、計数化されがたい定性的情報や地域の実情に根ざした情報を有効に活用して、地域金融の円滑化、貸し手・借り手双方の健全性の確保を図ろうとするものであり、大手行の大企業融資取引が財務分析、企業格付、担保資産評価といった定量的情報に基づく取引特性(トランザクションバンキングと称される)を有することと対比的に用いられる。

もとより地域金融機関の融資基盤の成長は地域経済の発展と一体不可分の関係にあり、大手行のように商売ペースに乗らなければ即座に地域マーケットから撤退するというわけにはいかない。地域経済の再生・発展のためには、経営不振に陥った地元の有力企業の再建を支援し、あるいは新たな産業の芽を育てていく姿勢が必要であるが、そのためには事業の将来性を見通すだけの、金融機関としての「目利き」力が求められる。

ただし、誤解してはならないことがある。リレバンは、「情実融資」あるいは「なれ合い融資」とはまったく別物であって、これと混同してはならない。融資先との長い取引関係がマイナスに作用するケースがなれ合い融資であり、地元有力者等からの圧力や懇請が絡むようなケースが情実融資であるが、これらは本来の融資ルールから外れるものであって、許されるものではない。リレバンとは、健全な企業経営を目指す経営者と金融機関が共生を図り、地元経済の成長発展に寄与せしめるものであることを忘れてはならない。

意思確認

直接本人と面談し具体的に契約内容等を説明したうえで、本人の自署・捺印を求める

融資業務等の与信取引においては、相手方の意思確認が必要とされる場面が多い。借入意思の確認はもちろん、担保提供意思、保証意思の確認等は与信取引の基本というべきものである。このほかにも、たとえば債権譲渡の際の債務者の同意確認、第三者弁済や債務引受けの際の債務者の同意確認などがある。これらの意思確認は後日の相手方からの苦情申立てや紛争発生を回避するための手段としてきわめて重要な手続であり、金融庁「主要行等向けの総合的な監督指針」「中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針」(以下、両者を合わせて「監督指針」という)においても、金融機関職員の面前で契約者である相手方本人の自署・捺印を受けることを原則的な確認手段としている。

いわゆる捨印慣行の不適切な利用や、契約内容の必要事項を記載せずに自署・捺印を求め、あとで職員が必要事項を補充記載して書類を完成させるといった不適切な扱いを禁じている。債務者を介して保証人や担保差人人から契約書等を受け取るような行為も、相手方の意思を直接確認していないので、それだけでは不適切な取扱いとなる。前記「監督指針」は金融機関に対して与信取引説明態勢の構築義務を課し、契約書等の契約内容を記載した書面の交付、個人保証契約における相手方の知識・経験等に応じた説明、保証内容につき説明を受けた旨の保証人からの確認の取付などが、必要事項としてあげられている。

特に担保の提供や個人保証契約においては、形式的な説明にとどまらず、最悪のシナリオ、すなわち担保処分や保証履行の事態を想定しての説明が求められている。融資実務においては、相手方が契約締結時は簡単に応諾していても、いざ担保処分や保証履行の局面になると、「そこまで説明を聞いていなかった」「根保証とは考えていなかった」などの抗弁がなされ、トラブルになる事例が多い。したがって意思確認は、少々くどいと思われるくらい慎重に行うことが望ましい。そして、間違っても「念のためにいただくだけです」「形式的なものです」という類の説明はしないことである。

信用リスク

合理的な計量化による管理が不可欠

信用リスクとは「信用供与先の財務状況の悪化等により、資産の価値が減少ないし消失し、金融機関が損失を被るリスク」をいう(金融庁「金融検査マニュアル」)。融資が回収不能となることによる貸倒損失の発生リスクは、そのなかで大きなウェイトを占めており、これを狭義の信用リスクということがある。金融機関の融資案件審査とは、案件の資金使途の内容の妥当性を検証したうえで、融資が計画どおり安全に返済されることを確かめるプロセスであり、換言すれば、融資案件の「狭義の信用リスク」発生の可能性を見極める手続といえる。金融機関の融資取引においては、金融機関の目の届かないところでトラブルが発生し、それが融資への損害として跳ね返ってくることも多い。

そのため融資審査においては、あらかじめ想定されるリスク発生の因子を極力検証したうえで、融資先の信用度がそれに十分耐えられることを確認する必要があり、結果的に保守的な姿勢で臨むことになる。時に営業現場から、「審査部が堅いことばかりいうので商売にならない」との審査部門批判が行われることがあるが、これはまさしく融資業務における安全性と収益性との兼合いの問題であり、どちらが優先されるべきかということではなく、当事者双方で納得のいくまで協議がなされるべきである。負担するリスクに見合う以上にメリットの獲得期待があれば、保全策を講ずるなどのリスクヘッジを行い、融資案件に応需することになる。

信用リスクのボリュームを統計的分析手法を用いて信用格付ごとに計測し把握することを、「信用リスクの計量化」という。適切な計量化には、合理的な基準に基づく融資先の信用格付システムの確立と、過去の倒産確率や貸倒実績率に基づき算定される予想損失率の見積りが不可欠であり、その結果、信用格付ごとに融資先の信用リスクコストを見積もることができる。「金融検査マニュアル」が金融機関に求めている貸出基準金利とは、このようなプロセスを経て算定された信用リスクコストに資金調達コストおよび経費コストを加味して算出されるものである。信用リスクを適切に管理するには、リスクの合理的な計量化が不可欠である。

感性と常識

世間の目に対する感性をもとう。そのために世間一般に通用する常識を備えよう

融資業務に限ったことではないが、金融機関の営業は「顧客の役に立つこと(顧客本位)」が基本でなければならず、かりそめにも金融機関の都合だけで顧客に取引を求めてはならない。バブル時には、顧客の意向を顧みずに不要な融資を押し付けたり、その後の不良債権処理の過程においても、金融機関の都合だけで担保物件の売却処分を迫ったり、あるいは強引な返済要求を行ったりするような事例が多発し、世間の非難を浴びたことは記憶に新しいが、これらは金融機関業務の基本にもとる行為である。この失敗の過程で金融機関は多額の授業料を払っており、その学習効果は現在の融資拡大の営業活動に生かされなければならないが、人間には喉元を過ぎれば熱さを忘れる本性があり、よほど心しなければ再び同じ過ちを繰り返すおそれがある。

たとえば、中小企業の経営者にデリバティブ絡みの融資をしつこく勧めひんしゅくを買う、当座貸越契約の極度額いっぱいの使用を一方的に制限するといった事例が報告されている。いずれも顧客の意向を無視した営業行為であり、融資業務についての対顧客説明責任を問われるケースである。このようなことが繰り返される理由の一つに、金融機関職員自身の「感性」が鈍くなっていることが考えられる。金融機関の営業活動に対する顧客のリアクションをしっかり受け止められない、あるいはまったく気づかないといったことが多いのではないだろうか。顧客には、金融機関の言い分に納得できなくても、表面上は黙ってそれを受け入れる者も少なくない。

金融機関職員は自らの感性をつねに研ぎ澄まし、顧客の意向を的確に受け止める能力を身に付けることが必要である。感性を高めるには、世間一般に通用する常識を備えることである。いわゆる「金融村」の常識や金融機関内での常識は、もはや通用しない。「これくらいは当然」という思い込みも意外に多いが、世間一般の常識レベルは時代とともに動いており、それに敏感でなければ適切な顧客対応は困難であろう。鋭敏な感性を備え、つねに一般常識を意識するようにあるためには、金融機関職員としての「矜持」をもつことが第一であろう。最近は下落気味といわれるが、世間の金融機関職員に対する評価はまだ相対的に高いものがある。金融機関職員には、それに恥じないように行動する義務があるのではないか。

よく診る

対象に関する知識や見識に加えて、常識、粘り強さ、好奇心が必要

「みる(見る)」という動詞の本義は、「目を対象に向けて、その存在・形・様子を自分で確かめる」ことである(『新明解国語辞典』(三省堂))が、転義として、「事物の状態を調査(判断・評価)する」という意味合いがある。ここでは、「みる」を転義のほうでとらえて、「みる(見る)」ではなく「診る」という表記を充てている。漢字表記にはこのほかにも「観る」「看る」などがあるが、対象である「企業」「事業」「経営者」などの実態を適切に把握し判断して「評価」するという意味で「診る」を用いたものであり、「診断」という語のニュアンスに近い。融資先を「診る」には、その外面を観察するだけでは不十分である。決算書類や報告資料等、数字や文字で表されたデータを分析・検証することはもちろん大切であるが、それらのデータの裏側に潜んでいるものを見極めることこそが肝心である。

事前に企業や事業、経営者等についての予備知識を仕入れておくことは、対象を適切に診るうえで有益であるが、それだけですべてを理解しようとすることは、安易であり危険でもある。中途半端な知識はモノを診るうえではむしろ有害であり、予備知識に加え、その後の調査や面談で得た新たな知識・見識を活用することが必要である。また、融資先に限ったミクロな検証だけでは不十分で、融資先を取り巻く業界や社会経済状況など大局的・俯瞰的視点からの検証もあわせて行うべきである。最近はグローバルな営業活動を展開している地方企業も多く、「木をみて森をみない」愚は避けなければならない。

また、よりよく「診る」ためには、知識や見識のほかにも必要なものがある。一つは「常識」である。表面上のデータ等をみて「何か腑に落ちないところがある」と感ずるセンサーは、日頃の生活のなかで身に付けた常識の多寡で決まることが多い。金融機関職員はつねに常識に磨きをかけておくべきである。二つ目は「粘り強さ」である。疑問については納得できるまで諦めずに追求する姿勢が大切である。「わからないけどマアいいか」という態度では、適正な診断は期待できない。最後に「好奇心」をあげたい。事物の核心に迫るためには、真実の姿を見極めたいと欲する好奇心が欠かせないからである。

セーフティ・ファースト

融資業務の拡大に際しても融資の安全性確認を軽視してはならない

バブル経済の破綻とその後の不況期におけるリストラ旋風を通じて、金融機関経営を取り巻く環境は激変している。なかでも金融機関の融資に対する企業の前向きなニーズの全国的減少傾向は顕著である。このような状況下、大手から中小まで各金融機関は、中小企業や個人を顧客としたリテール分野をターゲットに融資量の増加に知恵を絞っており、小口ビジネスローンなど新しい融資商品の開発が行われ、優良顧客争奪戦の様相を呈している。さて、ここに心配のタネがある。融資取引の拡大が営業推進の柱となると、融資判断にゆがみが生ずることが懸念されるからである。新規融資先の獲得、融資ボリュームの確保、あるいはローン獲得件数の目標達成といった大義名分の前に、ともすれば融資判断の基本である安全性の原則が軽視され、信用リスク管理面に不都合が生じても無視されるといった事態である。

バブルの時代はこの懸念どおりのことが起こった。安全性は片隅に追いやられ、公共性は無視され、収益性のみが強調された。その収益性も一過性の収益獲得メリットだけが重視され、信用リスク面を慮った総合的な観点からの検証はほとんどなされなかった。その結果は周知のとおりで、金融機関は少なからず深手を負った。この学習効果が生かされるのなら問題はないが、はたしてどうであろうか。融資の拡大は、見かけの融資ボリュームの増加ではなく、それによる収益基盤の拡大が目的である。見かけの収益がいかに増加したとしても、一方で信用リスクコストがふくれ上がり、収益を食い潰すことになっては何にもならない。

一〇〇万円の小口ビジネスローンを獲得しても、そこから得られる粗利益は年間五万円程度であろう。一〇〇件獲得できたとして五〇〇万円である。このうち年間五件が経営破綻すると、たぶん、粗利益は消滅する。これではもとの木阿弥、掛けた経費の分だけ損失となる。これを繰り返せばバブル期の失敗の再来で、以前ほど自己資本に余裕がない金融機関の経営は存亡の危機に立つであろう。融資ニーズの乏しいなかでの融資業務の拡大ではあるが、あくまでも融資判断の基本は安全性の重視であって、見かけの収益獲得優先ではない。まして、業績考課上の得点稼ぎであってはならない。相応のリスクテイクは必要であるが、「安全第一」(Safety First)の姿勢とのバランスが求められる。